思ってもみませんでした。
どこに行っても、何をしていても、細々とでも、
自作の曲を歌っているだろうとは、何故か確信していましたが。
(当時、「一人のために歌います」という歌い手になると思ってました。)
当時は、こんな働きがあるとは知らず、
ずいぶん長い間、自分の仕えるべき道を模索し続けていたように思います。
様々な道を、恵みによって通らせてもらって、
その時、その時に、自分なりに仕えていましたが、
先の道が見えなくなり、動けなくなっていたところに、
びぶりか企画との出会いが与えられました。
あれよあれよと言う間に、目の前に道が開け、
音楽宣教師という働きに一歩、踏み出すことになりました。
ここに至るまで、多くの人の理解や励ましがあったことを覚えます。
出会いのきっかけを作ってくださったA師、
先生はじめ、みなさんで快く送り出してくださった母教会。
快く迎え入れてくださったユアチャーチのみなさん。
必ず、歌で誰かを励ますことになると信じ続け、
応援し続けてくれた友人たち。
不安定な働きと知りつつ、なお理解してくれた両親。
そして、私の歌を聴きたいと、
犠牲を払って呼んでくださったたくさんの教会。
みことばに飢え渇いて、
みことばの歌への応答を分かち合ってくださったたくさんの魂。
近くで、遠くで支えてくださるすべての方に感謝します。
ありがとうございます。
この働きの性質上、人前に立つことは避けられませんが、
歌うことによって、主イエスを輝かせ、
主イエスのメッセージが多くの人に届けられることを
心から願い、励んでいきたいと思います。
みことばそのものが、すでに素晴らしく
何のつけたしも必要としていないことを知っています。
しかし、それを歌う者として、
主が最高に輝くために、
良い楽曲を作ること、歌声を整えることに
妥協してはならないのだ、と
もう一度、言い聞かせているこの頃です。
こんな者に、この働きを任せてくださった
主イエス・キリストの父なる神様に心から感謝して。